最終更新日:2003年5月13日

はじめに
・発病・告知から入院
・2001年 10月 11月 12月
・2002年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
・2003年 1月 2月 3月  4月 

闘病日記(闘病闘唄)2001年10月〜
          はいせんがん  ひしょうさいぼうがん
病名 肺がん(肺腺癌・非小細胞癌)
         末期
    細胞診・class・1〜Xの内 (X)  
    病気(stage)・T U V Wの内 (W)
国立ガンセンターのデーター
http://www.ncc.go.jp/jp/
KOUTAROの肺ガン末期の生存率
1年・30%   5年・10%未満
KOUTAROが経験した闘病記録 病気で闘う同士に捧げます 
参考になれば幸いです。
たくさんの方々の激励 千羽鶴や寄せ書き 心より感謝いたします

はじめに

これを執筆している現在1年1ヶ月がたっています 今ほどガンにかんして知識があれば
助かったことたくさんあると思いました よって出来る限り詳しく書く努力をいたしますが
個人差があることを ご了承ください あくまでも参考にしてください

2001年10月に
ガンが発見される前日まで 神戸でいつものようにLIVEをして歌っていました
職業がシンガーソングライターなので 手術で肺を いくらか取っても 
歌うには 大きな致命傷になるため 逃げる事がゆるされない
真正面からのガンとの戦いが初まりました

前兆はまったくなく いや振り返れば あったように思います
やたら右の肩甲骨あたりの コリが激しく よくマッサージしていましたが
ギターを弾く 職業病と思っていました
それに 運動不足がひきおこす 目まいのような ふらつき
いずれも 年齢のせいにしていましたし 病院へ行くほどでもなかったです

今まで病院へ行って 検査をしてもらっても 検査結果はいつも
きれいなもんですよ これなら健康そのもの 大丈夫心配ありません
そうずっと 言われて来ました それが その日ドクターの口からは
恐い話ばかり 安心できる言葉は一言もありませんでした

ガンはレントゲンやCTに写っていたからと言って すぐに あなたはガンですとは
ドクターも言いません なぜなら確実ではなく 疑いだけなんですから
その疑いを100%の確証を得るため あらゆる検査をします
それには 患者があせってしまうほど 時間がかかる気がします
なぜなら 早期発見なら助かると聞いているからです

焦りと恐怖と不安が 心の中を支配し いっぱいになります
今回 私が自分の体験や情報をできるだけ リアルに公表することによって
少しでも病気と闘う本人 そしてご家族の方の力に なれたらと思ったからです

最初が一番ショックで大変です すべてダメに思えたりしますが
時間がたつにつれて すこし冷静になってきたり 病気にも自然と詳しくなってきます
すべてを通して 一番大切なことは負けない事です 弱音をはかないことです
なぜなら 病気と闘う 今この瞬間も 人生なのですから
私の肺ガンは 2002年11月現在 末期だったが 抗がん剤治療6クール(約半年)で
奇跡的に約 半分まで小さくなりましたが ここからが大きくなったり小さくなったりで  
脳腫瘍はガンマーナイフ1回の治療で跡形が残ってる程度です
しかし 敵もさることながら ここから 少し大きくなったり 小さくなったり
1年たった今も 病気との戦いは続いています 命が燃え尽きる 最後の最後まで 
希望は存在します 絶対希望は存在します 絶対負けないでがんばりましょう 

病気と闘う同士諸君 絶対にあきらめないで 共に戦いましょう
不安と恐怖は もともと 得体の知れないものです 
そんなものにぜったい負けないでください!
勇気 希望 忍耐! 勇気 希望 忍耐! 勇気 希望 忍耐! 

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闘病記録
2001・10・16火(初まりは突然・街の総合病院)
朝 顔を洗って うがいをすると 少量の血痰が出た
ちょうどCD SAZANAMIのレコーディング中で 連日 昼夜 歌の録音をしていたので
喉を酷使しすぎて ひょっとしたら ポリープかなっと思うが 急がしく 病院へは行けず
次の日は昨日より大きい血痰 その次の日はさらに もっと大きな血痰が出る
ようやく 3日目にして 耳鼻科でポリープの診察を受けるが 喉には以上なし
耳鼻科の医師に 肺を診てもらいなさいとの指導により 街の総合病院へ行く

レントゲン(胸・正面・左横・2枚) 尿検査 血液検査 痰検査
左の肺 2ヶ所に影 見つかる 心臓の裏 背中側(約直径2cmの炎症・結核の疑い)
肺の上 腫瘍(ガンの疑い) すべて疑いで決定ではないので あせり&不安
その日から 昼夜 点滴(セフメダイン)
すべてのスケジュール キャンセルする

ドクターがレントゲンを見ながら ん〜ん〜 っと唸るだけ
この左の鎖骨のあたりの 腫瘍な〜 ん〜 腫瘍な〜
せっせ先生! ガンですか? ハッキリ言ってください お願いします!
んん〜 腫瘍な〜 ん〜 腫瘍な〜 ん〜
先生!ガンですか? ハッキリ言ってください お願いします!
そっそうやな〜 ガンの疑いやな〜
自分でハッキリ言ってくださいと言ったにもかかわらず 
頭の中に氷を詰められたように 冷たくなった
結局 ガンの疑いと 結核の疑いだった
「その日処方されたクスリ」
Sアドクノン30mg トランサミン250D606 セルベックスSX50E

2001・10・18木(誕生日)
ガンは疑いのまま 不安いっぱいの中 誕生日を迎える
かみさんが ケーキにロウソクを灯し 歌ってくれるバースデーソングも自然と暗くなってゆき
ローソクの灯 ため息で吹き消し 二人とも沈黙で過ごし 結局ケーキは食べなかった
一生忘れる事が出来ない 誕生日だった

2001・10・19金
ペニシリン注射(結核のテスト) 右腕2ヶ所 左腕1ヶ所 
48時間(判定・縦6cm横4cm真中1×1)
点滴(セフメダイン・昼夜)

2001・10・21日(良い病院探し&良いドクター探し)
色んな人が 病院は絶対色んなところから 選んだほうが良いと聞き
大きな病院を探し 見つかり次第 病院を替わる事をドクターに話す

2001・10・22月
結核の疑いがある為 結核の某有名病院(結核内科)へ行き検査
次の診察まで 凄い時間が空くので あせり&不安 益々つのる

2001・10・23火
結核の疑いがある為 結核のクスリ初める
INHA文(胃薬とビタミンB6の配合薬)・ピラマイド(効能・結核)・
INHA(効能・結核の治療薬・副作用・肝障害など)・リファジン(結核のくすり)
エサンブトール250mg(結核を改善する・生活上の注意・目がかすむ場合がある)
点滴・セフメダイン
この頃から 背中が痛い 夜の点滴 背中が痛くて行けなかった

2001・10・24水
背中があまり痛くて診察うける 左背中3〜4ヶ所注射 座薬(痛み止め)
ガンの転移のおそれ(肝臓など)
朝まで 左背中激痛のため 夜中3:05 座薬(痛み止め)

2001・10・25木
CT(造影剤)頭部・胸・腹部 この日も座薬 ひどい下痢

2001・10・26金
胃カメラ ひどい下痢 座薬 左けんびき痛い
CT・胃カメラ 結果以上なし とりあえずホッとする
 
2001・10・27土
町の総合病院最後 大きな良い病院がみつかり その病院にすべて託すことになった
紹介状・カルテ・CT・レントゲン写真すべて持って行くようにしてくれた 

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病院を替わる
2001・10・29月(大きな病院初診)
初診呼吸器科診察結果 左肺4cm リンパ節(手術が困難な時もあるもう一度CTを撮る)
腫瘍マーカー(体内の腫瘍&ガンの面積が数値でわかる)
CEA813.2(正常5以下) 肺癌が疑わしい 
11・6に気管支鏡をやってみることになる(8割の確定率)
背中痛・骨転移の有無(骨シンチグラフィー・背骨のMRI)
肺癌・もし遠隔転移(抗がん剤と放射線照射)
参考(採血のデーター)
WBC(白血球の数 基準値3.8〜8.5)
抵抗力を現す・抗がん剤を打つと極度に下がったりすると感染しやすい
GPT(肝臓 基準値5〜30)
抗がん剤などで肝臓が悪くなってないか見る
CEA(腫瘍マーカー)
体内にある腫瘍&ガンの面積が分かる 下のデータは光太郎の実際のデーターです
(最初の頃は光太郎は肺癌&脳腫瘍もあったので CEAが1500近くあった)
2001・12・3  2002・1・10 2002・2・25 2002・3・25 2002・4・15 2002・5・20 2002・6・20
1117.1H  441.3H 124.6H  87.6H   73.2H  115.2H  81.4H

2001・11・5月(入院)
結局 大きな病院へ検査入院する
この時点で 朝から凄い 目まい 吐き気 食事が出来ない
CTの検査へ行く前と後 嘔吐する 病室まで歩行困難な為 車イスに乗る
結局 いちから検査やりなおし 夜・気管支鏡の説明受ける(口を開けて麻酔)

2001・11・6火(ひどい目まい)
絶食 ひどい目まい 朝・腹部エコー 昼・気管支鏡
夜中 寝返りで 目が回る 天井がグルグルまわる 点滴を打ってもらいましになる

2001・11・7水
胸レントゲン 痰の検査 歩いたり 片足だちの検査 まっすぐ歩けず右へ行く

2001・11・9金(癌が100%決定した日)
気管支鏡で細胞を取って検査の結果 細胞から 癌 検出される
肺腺癌(はいせんがん) 肺の粘膜の癌で 女性に多い癌 タバコは関係ない 
肺癌(小細胞肺癌・非小細胞肺癌)2種類ある
小細胞肺癌(しょうさいぼうはいがん)・進行は早いが「抗がん剤」が効く
非小細胞肺癌(ひしょうさいぼうはいがん)は3種類あって 肺腺癌はその内のひとつ 
進行は比較的遅いが「抗がん剤」効きにくい 死亡率も高い 
じつに初めて病院へ行ってから25日かかった ようやくガン100%判明した
夕方 家族と外科医の先生が話し 11月22日手術日決まる
感想(25日かかった)
ガンは早期発見が大事と聞いていたので 仕事もすべてキャンセルし 
病気の事だけに集中し 色んな病院へ行き 色んな人のアドバイスを聞き
必死でがんばって ガンの確実な発見まで25日かかった
早いのか 普通なのか 遅いのか 私にはわからないが これが現実だった
変な話だが いままでガンの疑いのままハッキリしない 不安定な精神状態これはつらかった
もちろんガンの宣告はもっとつらいが 手術日も決まり ハッキリすると
絶望の中でも 腰がすわり 変に落ち着く 今日まではいきなり洗濯機の中に突っ込まれ
グルグル不安と恐怖に かき回されてる感じだった とにかく必死だった
この日から 私はガン患者として 私のかみさんは ガン患者を主人にもった奥さんとしての
本格的な戦いが始まった!
毎日の呼吸もまるで 喘いでいるように荒い でも絶対負けないぞ!

2001・11・10土
朝 めまいしないように ふらつきながら洗顔 左の背中痛い 上右下の繰り返しで眠る

2001・11・13火(脳への転移・末期ガン)
MRIの検査結果で 脳への転移(右後頭部下・脳の外) 発見される
ひどい目まいはガンからの転移の 脳腫瘍が脳を圧迫していた為だった 
末期ガンだった(手術中止) 
細胞診・class・1〜Xの内 (X)  病気(stage)・T U V Wの内 (W)
その時光太郎の奥さんは
かみさんは病院からの電話を受け取り やっていた事そのままの状態で病院へ駆けつけた
個室に呼び出され 呼吸器科の部長先生・主治医・婦長さん・担当看護婦さん
4人に囲まれ この時点で 脳腫瘍の治療できなかったらあと3ヶ月の命ですと宣告される
その瞬間 涙がバッと飛び出たと言ってた 何もぼやけて見えず 考えれず 真っ白
両手で 先生方の話を制止し 深呼吸をし涙を拭いて 気持ちを整えて 
やっと もう一度ちゃんと話を聞けたと言っていた
初めて街の病院へ行ってから 29日目の事だ
転移 
末期ガンは今の所 手術はできない なぜ?色んな理由があるらしいが
空気に触れると 体全部にガンがパッと飛んでしまうらしい
それに転移してると 体のどこにガンがあるか わからないからだ 細胞レベルの問題なので
すべて写真に写るわけでもない 細胞レベルの転移だと発見できない
たとえ写真に写っていたとしても 手術したドクターもわからないぐらい小さなガンだと
手探りらしい それでもわからない 細胞レベルの小さな育ってないガン
何年 何十年たってガンが大きく 発見できる大きさになって わかるのだ
それが 本当のガンの恐さだ だから手術できるガンは早期なんだ
でも 気をつけないと 細胞レベルのガンがあれば 時間がたって再発の恐れがある
だから 治っても定期検査はかかせない 私の同部屋の方の話で手術後
13年間 再発なしだったから もう検査もしないで大丈夫だろうっとドクター
ところが 13年目に肺に小さなガンの転移が発見されて 入院されてきたんだ

2001・11・14水(脳腫瘍診察・大阪総合医療センター)
ガンマーナイフ(患部だけを集中的にガンマー波をあてる事ができる)
全国に22〜3台 大阪には3台しかないので2〜3週間予約待ちなど ざらだと聞き
不安になりながらも診察をうけた ドクターから治療方法として 開頭手術で腫瘍摘出 
ガンマーナイフ 放射線治療 他いくつか 候補があげられましたが 
今の時点では 肺ガンの治療も受けておらず 治療期間の短いガンマーナイフを希望するが 
腫瘍の大きさ2.8cmと限界をこえる大きさに ドクターも首をかしげたが 
なんとかガンマーナイフ治療してもらえる事になった
病室も個室が一部屋だけ奇跡的に空いており ドクターがすでに予約を入れておいてくれ
あさって朝一番の治療に無理やりスタッフを揃えてくれ 15日〜17日 2泊3日で入院
16日にガンマーナイフ治療が決定し ここぞっと言うところで初めて守られた
病気になって 初めてホッとした日だった
夜SAZANAMIのプロデューサーMAKOTOが CDプレーヤーを持ってきてくれて
入院して初めて音楽を聴いた 特にSAZANAMIは人の出会いと別れを歌った曲なので
自分が歌ってるにもかかわらず声をあげて泣いてしまった 何度も何度も病室から見える
夜景を見ながら SAZANAMIを噛み締めながら聴いた 生涯忘れないだろう

2001・11・15木(大阪総合医療センター入院・2泊3日)
ふたつの病院に入院できないため いったん今の病院を退院し
大阪総合医療センターへ入院 朝友人が車で迎えに来てくれた 病院へ向かう車中
SAZANAMIを聴いた 朝の街を眺めながら車に乗ってる全員いつしか泣いてた
病院到着後・血液検査・心電図・レントゲン・後頭部・脳・尿検査
洗髪(殺菌用洗剤・キレイキレイ) 不安いっぱいで眠りにつく

2001・11・16金(ガンマーナイフ当日)
朝 7:00・点滴 8:50・おしりに注射 
患部だけにガンマー波を照射するため頭を固定するのに鉄火面のようなものをかぶって 
おでこ2点 後頭部下2点 頭蓋骨まで 長いネジを2〜3人がかりで締めていきます
このネジ止めが 痛くて 痛くて必死でこらえました
9:00 鉄火面をつけたところで MRI・48枚撮影 他には転移なく腫瘍が立体的に撮影される
患部へのガンマー波照射時間検討 患部のテッペンは5分 底は10分 と言うように
色んな角度から 照射する為  MRIの写真を元に照射場所 時間 決められて行く 
技師2人 ドクター1人 ナース1人がかりだ 1年がかりで 腫瘍を枯らしていくそうだ
ガンマーナイフ治療開始 何度も照射して 首の向きをかえ また 照射 また 首の向きを変え
1時間ほどかかった ガンマー照射は痛みはないが 頭の芯が熱い感じがした
冷たく暗い箱の中に入って行くときは 恐怖と不安で胸が一杯になり 
自分の病気はこんな思いをしないと治らない 重い病気なんだと初めて実感し
今の現実にブルブル震えながら 涙が溢れて止まりませんでした 
その時です 前日に送られてきた 皆さんのメッセージの大声援が聞こえてきました 
がんばれ がんばれ 不安と恐怖の奈落の底で 心が熱くなり 勇気が湧いてきました
絶対に負けないぞ 絶対負けないぞ このとき初めて頭蓋骨にくい込んだネジから溢れ出る
自分の温かい血液に決意したのでした
昼12:10寝台に乗せられ部屋の戻ってくる 心配そうな かみさんの顔も痛くて見れず
昼1:30ようやく痛みもおさまり 食事ができるようになる
夕方・ドクターのお話
前回よりも腫れは引いていました ガンマーナイフは一応成功しました
1ヶ月ぐらいは経過を見ます 48枚MRIを撮ったが他には転移はない
万が一他に発病しても 処置します ボルトが筋肉にあたって痛かったと思うがよくがんばった
主治医は一人にするので 元の病院へ帰ってやりとりしてこちらも経過見ていきます

2001・11・17土(元の病院にもどってくる・ホームページで公表)
もとの病院に帰り 決意も新たに自分のホームページで 病名を発表する
おかげで 全国の友人やファンの方が私の病気を知ることになる
さっそく友人が 日田の天領水(奇跡の水) 田七人参(漢方薬)持ってきてくれる
田七人参は 癌によく効く 抗がん剤の副作用もそんなに出ない 白血球の数が増えるなど
体質改善のため 最初は夜中 何回もトイレに行く お医者さんが 病気と疑うほどだ

2001・11・18日
ホームページで病気の事を発表したため 朝から晩まで色んな方がお見舞いに来てくれ
目が回るくらい忙しくなり 病気どころではなくなる

2001・11・21水
今後の治療方法 転移発見された為 手術はできないので 抗がん剤 治療に決定

2001・11・22木
採血 腹部CT(造影剤) 公園散歩

2001・11・23金・祝日
朝 公園散歩 友人お見舞い 昼2:00シャワー 外出 外泊 運動自由
夜 焼肉買ってきてもらって モリモリ食べる 僕には食べる事しかできないんだ
ドクターから抗がん剤治療の説明受ける
「1クール」
11・27〜  1日目 クスリ 2種類 9:00〜15:00
12・4    8日目 クスリ 1種類 9:00〜13:00
12・11  15日目 クスリ 1種類 9;00〜13:00
12・18  22日目  休養日
2001・11・24土(初めての外泊)
病院も土日は静かだ 昼 何人かお見舞いに来てくれる
夜初めて 外泊する 久しぶりの我が家は落ち着くな〜本当にホッとしたよ

2001・11・25日(病院LIVE)
この日は いっきにお見舞い客の方がかたまる 全員で1皆のレストランへ移動してもらい
大声でガンの説明をする テーブルをくっつけてもらって まるで誕生日みたいだった
お見舞い客の方達は光太郎がガリガリにやせ細って ビニールの幕の中
酸素のチューブを付けて弱りきっている所を想像されてたみたいで 
光太郎のあまりの元気さに全員花束を持ったまま 目をまんまるくキョトンとしてた 
その後病院内の空中庭園で友人がLIVEをやってくれる事になったので 
全員で空中庭園へ移動しなぜか全員でLIVEを聴いた 入院して初めて生の音楽を聴いた
風の中 不安と恐怖は音楽と共に飛んで行った
 
2001・11・27火(抗がん剤治療始まる)
初めて 抗がん剤 点滴3本 AM9時〜PM4時5分
1本目 ソリタT3(200ml) テカドロン(20mg) サンタック1A カイトリル1A
2本目 5%ブドウ糖(250ml) タキソール(90mg)
3本目 5%ブドウ糖(250ml) パラプラチン
主に1本目の点滴は 副作用を押さえる 強力なクスリ 後2本が 抗がん剤
不安だったが 皆が言うほど しんどくなかった 田七人参など漢方のおかげだ
一週間に一回 火曜日に抗がん剤 3週抗がん剤で 4週目休みで 1クール
要は4週で 1クールってことだ これからそれを 6クール行う
普通抗がん剤を打ったら2〜3日目に気分が悪くなり食欲がなくなったり嘔吐したり
非常にしんどいと聞いていたが 夜になっても食欲旺盛だった
抗がん剤について(点滴)
抗がん剤の副作用は 特に匂いに非常に敏感になり ムカムカし味がなくなる 
病院食の器のふたを開けただけで 匂いで食欲がなくなるので外食してた
抗がん剤をしてから2〜3日で みんなこう言う症状が出てきてた
口の中が抗がん剤味になり 外食でどんな食べたい美味しいものでも 抗がん剤味で
せっかく期待した美味しい味が まずかった 
特に光太郎は副作用も軽く 重い人なんかは熱にうなされ 嘔吐し食事できない人もいた
田七人参や漢方薬は副作用を抑える働きがあり そのおかげ副作用も軽かったと思う
点滴の抗がん剤は非常にきつい薬なので 一度使った血管はしばらく使えず
点滴の針もプラスチックでドクターしか 注射できないようだ

2001・11・28水
抗がん剤を打って2日目 昼すぎぐらいから しんどく胸が悪く熱っぽい
夜中 漢方薬・田七人参のせいで2時間おきにトイレへ行く 朝方 体調もどる
田七人参を飲みだすとだんだん体調が変わってくる 初めにあらわれるのが
びっくりするぐらいの尿の量だ ドクターが病気ではと首をかしげるくらいだ
病院によっては漢方薬の服用は嫌がるところがあるらしいが 光太郎が入院してた病院では
漢方薬で治りますとは絶対言わないが 飲むのはOKしてくれてた実際白血球の数値は
抗がん剤を打ってても普通の人と同じぐらいあった でもあまりの尿の量に一時はドクターから
ストップされたこともあったが また許可をもらい続けた
 
2001・11・29木
抗がん剤3日目 昨日の夜中にトイレへ2時間おきに行った為 寝不足で少ししんどく
ずっと寝てた やはり体調が悪かったら起きれない 朝方ようやく体調もどって来た

2001・11・30金
抗がん剤を打って4日目 今日はしんどい ベットで横になってる時間が多い
抗がん剤を打って2〜3日したら 気分が悪くなってしんどくなるって聞いてたが
やはり しんどく熱っぽい 37.3℃ それでも 散歩にでかけた

2001・12・1土
抗がん剤と ガンマーナイフの影響で ガンマーナイフのところの髪の毛 抜け出す
友人がお見舞いに来てくれたので お茶して食事 外出する

2001・12・3月
腫瘍マーカー(CEA1117.1H)

2001・12・4火
抗がん剤・1クールの2週目 9:40〜1:15まで

2001・12・5水(抗がん剤で髪の毛抜け初める)
病院のバスタブにつかる お風呂に入れた〜気持ち良かったな〜(許可がいるんだ)
髪の毛 毛玉出来た 夜 友人と外食

2001・12・10月
寝てて筋肉痛 痛み止めもらう

2001・12・11火
抗がん剤治療 1クール 3週目 9:15〜1:30 点滴2ツ 
最初の点滴は 副作用抑える薬・1時間ぐらい 次が抗がん剤・3時間ぐらい
回診で 抗がん剤が効いてきて 小さくなり始めた やった〜大喜びした日

2001・12・12水
筋肉痛ますますひどくなる 痰からむ ゼ〜 ゼ〜言う

2001・12・13木
筋肉痛 朝から痛み止め用のシップで治すので 飲む痛み止めは使わず
夜中2:20 痛くて痛み止め飲む(ロキソニン)熱38.3℃出る 痰からむ
しんどくって最悪な日 注射のテスト皮下2ヶ所・血液検査テスト・抗生物質点滴
  
2001・12・14金(肺炎にかかる)
患者の間では肺炎にかかったら7日で死んでしまうと うわさされてたのに肺炎にかかる
これまでの 筋肉痛と 痰がからむのと熱は 肺炎の前兆だったのだ
肺がんの人は 一番気をつけないといけない 肺炎にかかる(死亡率多し)
抗がん剤治療中は 抵抗力がなくなるので 感染症(風邪)には特に気をつけるよう
日頃から お医者さんに注意されていたにも かかわらず
ズに乗る性格なので 外出しまくっていた その結果の出来事だった
ひどい筋肉痛 背中 座ってしか 寝れないぐらい 体中痛い 38.9度まで熱あがる
点滴(抗生物質) 痛み止め(ロキソニン)
夜中 3:15(38.9℃) 4:15(37.5℃) 5:20(36.6℃) 6:30(37.6℃) 
寒くってブルブル震え 目がさめれば 熱くて汗だく それを 朝まで繰り返す
なんとか10日ほどで良くなるも また後日 肺炎になり 入院中2度 肺炎にかかる

2001・12・15土(肺炎による熱&痛みとの戦い)
抗生物質の点滴 食欲まったくない パン1個 昼食食べれず
体のふしぶし痛く 熱38.9℃ いくら寝てもおさまらず解熱剤もらう(昼2:30頃)
あぁ〜今日も最悪な日になりそうだ〜 昼3:15頃 熱で起きる(38.9℃)
夕4:15頃・37.5℃ 夕5:20頃・36・6℃ 夕6:30頃・37.6℃(夕食・りんごひとかけら)
夜7:05・37.8℃(くすり飲む) 夜中1:55・37.7℃(クスリでぐっすり眠る・咳止めもらう)

2001・12・16日
朝調子よかたっが夕方から 熱が出て左うしろアバラ骨痛む
お見舞い客が来てくれても 挨拶だけで咳が出たら痛いので部屋へ帰る
朝夜・抗生物質点滴 夜・睡眠薬でぐっすり眠る

2001・12・17月
肺炎4日目・採血・レントゲン・検尿・胸部CT
左後ろアバラ骨痛くて痛み止めもらう 熱もある きつめの抗生物質の点滴に変わる
テスト皮下注射(2ヶ所) 夕食あまり食べれず 熱38・3℃ 痛み止め 睡眠薬

2001・12・18火
肺炎5日目・朝点滴 今日は肺炎の調子いい 熱37.2℃ 回診(3:00)

2001・12・19水
肺炎6日目・すこぶる調子よし 熱36.6℃ 朝夜 点滴

2001・12・21金
肺炎8日目・熱36.6℃ 朝夜点滴 鼻から少量の出血あったので耳鼻科で鼻焼かれる
夜中 胃が痛む
 
2001・12・22土
肺炎9日目・昨夜は胃痛で苦しむ・せきひどい・夕方筋肉注射・座薬・朝夜点滴
友人がお見舞いに来てくれても あまりにしんどくて話も出来なかった

2001・12・23日
肺炎10日目・一時は調子よかったのに ここのところずっと肺炎がぶりかえし苦しい
夜熱出る38.9℃(解熱剤・ロキソニン)

2001・12・25火(初めてドクターから嬉しい言葉を聞く)
採血・検尿・レントゲン・回診
夜ドクターから経過報告 脳腫瘍7割ぐらい小さくなってる 
胸のガンも小さくなりだしてるとの説明を受け 飛び上がって喜ぶ バンザ〜イ バンザ〜イ
病院で初めて 良い言葉をドクターのくちから聞けた日

2001.12.26水
抜け毛がひどくて 毛玉ができるので ドクターの許可をえて 病院の散髪屋で丸刈りにする
サッパリした 看護婦さんにも好評だ

2001.12.27木
抗がん剤治療 2クール 1週目 10:00〜4:30 点滴3本

2001・12・30〜2002・1・2(お正月・自宅で)
12月30日から外泊が決まった もううれしくて うれしくて新年は自宅で迎えられる
最後に診察を受け 大量のクスリを持って病院を出る
新年あけましておめでとうございます 本年こそガンを必ず完治して見せます
決意も新たにする

2002・1・10木
腫瘍マーカー(CEA・441.3H)

2002・1・16水
ついにドクターから退院の話が出る(1月18日)に決まる 採血・点滴

2002・1・17木
漢方薬 新しい田七人参(純生)  五加参 始める

2002・1・18金(退院の日)
ついに待ちに待った 退院の日だ 朝の点滴も早々に終えてワクワクして
迎えの友人の車を待つ ドクターの話でガンが小さくなってきてる またまた喜ぶ
やっと友人が迎えに来てくれたので 風邪は絶対ひけないのでストーブ2ツも買い込む

入院中はたくさんの友人がお見舞いに来てくれた 休みの日はベッドにいるより談話室に
いるほうが多かったり 一時に集中して 7組13人に 喫茶室ではお誕生日会さながら 
庭園では友人のライブ はるばる東京から来てくれたり 外国人の友人には看護婦さんも
タジタジ 手紙やメール、BBSで励ましてくれた多くの人達 などなど
あまりにも いっぱいあったので ここでは書ききれませんでした
みんな本当にありがとう
病院のドクター ナースのみなさん 親切にしてもらってありがとうございました


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自宅療養通院初まる
ガンは疲れたらガン細胞が活発になるので 疲労は厳禁だ 
それに感染症(特に冬は風邪&肺炎は命にかかわることもある)安静第一

2002・1・24
3クール目の抗がん剤 初まる 退院後の点滴の日 白血球正常

2002・1・26土(CD・SAZANAMI発売日)
病気との戦いの真っ最中 CD・SAZANAMI発売日を迎える

2002・1・28月
頭部 MRI撮影 脳腫瘍十分の四に縮小してる

2002・1・29火(退院祝いパーティー)
退院祝いに友人達が みんなでかに鍋パーティーをしてくれた

2002・2・21木(CD発売記念LIVE)
ミュージシャンの友人達が CD発売記念ライブをおこなってくれた うれしくってうれしくって
歓喜 歓喜につつまれ おおはしゃぎする 2曲歌う
入院中から友人がこの日を目標にがんばれって計画してくれてたんだ
光太郎も体調よかったら歌ったらいいって はげましてくれてたんだ
当日リハーサルで友人のミュージシャン達 それはそれは あたたかく迎えてくれた
東京から駆けつけてくれた友人達もいた みんなの心のこもった演奏を聴いて
もう思わず胸がいっぱいになったよ 最後に光太郎のリハーサルやったよ
マイクの前に立って「やっと帰ってきたよ」ってささやいた そうここが光太郎の居場所
病気になって初めて 歌った記念すべき日 もう生涯忘れられないだろう
本番が始まり たくさんのファンの方が集まってくれて 
本当にあたたかい拍手送ってくれたんだ ミュージシャンの友人達もまるで
同窓会状態で楽屋で大盛り上がり LIVEも全員総立ち状態で光太郎も踊りまくり
LIVE終了後CDもたくさんの方に買い求めていただき サイン攻め
興奮状態も最高潮 自宅に戻ってぐったり その夜ガンでも幸せ感じれるんだって実感した 
ガンだから不幸なんじゃないんだ 今ガンだけど こうしてこんなに幸せに包まれてる
そうこの今 体にガンを持ったから 今日はこんな日がやってきたんだ
ガンの宣告を受けた時には考えれなかったけど 必ず希望はあるんだ
だから最後の最後の最後の最後まで 希望を持とう 絶対希望を持とう
誰が見放しても 自分だけは最後の最後まで希望を持とう 病気と闘う同士諸君

2002・2・25月
腫瘍マーカー(CEA124.6H)1月の時よりグンと下がる CTによる肺の検査 現状

2002・2・27水
友人の進めで パイロゲン(奇跡のジュース)飲み始める

2002・2・28木(抗がん剤・4クール目)
抗がん剤 4クール目 味がなくなる 何を食べてもまずい 風邪のひき始めに似ている
腹部が痛むので 相談 肝臓は転移しても痛みないので注意 腫れてないのでだいじょうぶ

2002・3・1金
背中 右けんびき 腰 痛む

2002・3・2土
右足のくるぶしが腫れてる 身体がだるくて眠れない 吐き気止め飲む

2002・3・5火
腹部のCT検査 今日は体調は少しましだ

2002・3・11月
ここんとこずっと 腰や右のけんびきがだるく せつない
でもこれは光太郎の職業病だと思うので みんなに表れる症状とは思えない

2002・3・14木
通院では予約の1時間30分前に病院へ行き 先に採血をすませる(検査) 
そのあと食事をしたり時間をつぶして 予約時間の診察を受ける
採血のデーターを見ながら ドクターから現状の説明を受け これからの治療方法など 
指示を受けることになる おもに白血球の免疫力の数値や肝臓の数値(抗がん剤の副作用)
特に肝臓は抗がん剤がきつすぎるとすぐに やられてしまうので注意してみる
そして腫瘍マーカー(身体の中の腫瘍の面積の数値がわかる)光太郎の場合
脳腫瘍と肺ガンを持ってるので 数値が出る 毎回診察の時この腫瘍マーカーが
下がってたら ガンが小さくなったと歓び 上がってたら落ち込む
あまりに肩やけんびきがだるいので ドクターに薬を出してもらう(肩こり治ったメチコバール500)
肩こりはガンとは 関係ないとドクター
診察後 入院病棟へ行き 同じ病室だった患者さんを見舞い 励ましあう

2002・3・24日(FMココロゲスト出演)
今日はラジオ出演の為 ウキウキ外出する ラジオでもガンの事話した
CD・SAZANAMIのほとんどラジオから流れた

2002・3・25月
腫瘍マーカー(CEA87.6・血液検査でわかる腫瘍&癌の面積)
全体の12分の1に小さくなる

2002・3・28木(抗がん剤・5クール)
抗がん剤 5クールの一回目 この頃になると慣れてくる 2〜3日がつらく 次の日は
特に味がなくつらい 日曜あたりから 味もどってくる 眠るのが一番いいらしい

2002・4・4木
今日は採血なしだ 抗がん剤も回を重ねるごとに つらさがリアルに隅々まで見えてくる
だからあまり意識しないようにする 診察の時 抗がん剤を入れて2〜3日はつらくて
よく眠ってますって話したら それが一番いいんですよってドクター
診察後 入院病棟へ見舞う 同じ病室だった人が脳に15箇所の転移が見つかり
昨日ガンマーナイフから帰ってきたところだった キズ後が痛々しかった
15箇所の小さな腫瘍なので3時間かかたらしい 光太郎は大きな腫瘍だったので1時間だ
私の知り合いで肺ガンになった人でって話この病気になってから本当にたくさん聞くけど
同じ肺ガンでも 10人いたら みんな症状や運命や副作用はちがうんだよ
でも同じ病室だった人の話を聞いてへこんだ がんばれ〜負けるな〜

2002・4・8月(同級生肺ガンで亡くなる)
診察が終ったあと 漢方薬を同じ病室だった方達に持って行く
自宅にもどって 自転車で運動がてら散歩中 友人から電話が入る
3月10日に同級生が肺ガンで亡くなったらしい そのままショックで道路の沿道に座り込む
2ヶ月ほど前に電話で話したばかりの同級生が亡くなった それも肺ガン
電話で話した時 同級生は自分が肺ガンだなんて知らなかったんだよ 
定期検診をたまたま受けに行って 発見されたときにはもう手遅れだったらしい
この日はめちゃめちゃへこんだ

2002・4・12金
抗がん剤が2日目なので くちの中が抗がん剤味になってくる 
しばらくは食事をしても味がなくる しんどくなったらすぐ睡眠をとる

2002・4・15月
腫瘍マーカー(CEA・73.2)最初は1500近くあった数値がここまでさがった
もちろん脳腫瘍がなくなりつつあるので その影響は大だが もちろんガンも小さくなってる

2002・4・18木(肺がんが半分まで小さくなった日)
胸のCTの検査結果 最初のガンの大きさの 約半分まで小さくなった 大喜びする
もうみんなに電話しまくりで 自宅で祝う やった〜 やった〜
光太郎のガンは非小細胞ガンなので 非常に抗がん剤が効きにくい中
半分まで小さくなるのは奇跡的なことなんだ

2002・4・23火(体毛はえてくる)
抗がん剤で抜けてた 体毛が戻ってきた
生えてきた まつ毛が目に入って痛い

2002・4・25木(抗がん剤・6クール)
採血(異常なし) 診察 抗がん剤点滴

2002・4・26金
味なし ちょっと吐き気がするので 薬飲む

2002・5・2木(運動について)
診察で運動について質問する 適度な運動はOKだが
反対に疲れる運動は ガン細胞も活発になるのでダメ

2002・5・3金
抗がん剤で2〜3日は いつも味がまずくなるが 今日は今までで1番まずい
久しぶりに吐き気止めの薬飲む

2002・5・4土
久しぶりに車に乗ろうと思うが 長い間ガレージに入ったままだったので
バッテリーがあがって動かないので 新しいバッテリーに変える
仕事には復帰してないが 無理をしないよう疲れないよう普通に生活してる毎日だ

2002・5・22水(検査結果は最悪)
検査・採血・CT・MRI 腫瘍マーカー(CEA・115.2H)
検査結果最悪 めちゃへこむ CTでは見た感じでは同じだが
腫瘍マーカーでは大きくなってた 脳腫瘍はかなり小さく跡形がわずかに残るまで小さくなった
胸のガンは深刻だ 次回から抗がん剤を変えてみることになった 
今日は思いっきり うなだれて家路につく 落ち込んだ日 ハァ〜
参考
光太郎の非小細胞肺癌は元々 抗がん剤が効きにくい死亡率の高いガンだ
それが奇跡的に約半年(6クール)で半分まで小さくなった だからあと半年で完治と
意気込んでいたが敵もさることながら 同じ抗がん剤が効かなくなってきたんだ
この半年の間 ガンで亡くなる方も何人かいるなか 半分まで小さくなったのは奇跡的だ
10人ガンの方がいれば それぞれみんな運命はちがうんだ

2002・5・23木
昨日はかなりへこんだけど 今日はもう大丈夫 気を取り戻す

2002・5・26金
アゼリア大正LIVE 友人達に誘われLIVEする 感動的だった
あきらかに 歌が変わってた 泣いてる人がいっぱいいた

2002・5・30木(新しい抗がん剤・1クール)
1) 生理食塩水 100ml  ソルコーテツ 100ml  カイトリル 1A
2) 生理食塩水 100ml  ジェムザール 1700mg
初めてで副作用わからないので ちょっとビビってる前と同じ感じのしんどさ 何かだるい 
ドクターの話では土曜あたりにガクンときてしんどいらしい

2002・5・31金
今度の抗がん剤は2日目でも味がある

2002・6・1土
ドクターの言ってた通り 夜から熱(38℃)が出る 冷たいタオルで冷やす
身体の節々痛い 骨の芯が痛い 味はあるが食欲がない

2002・6・2日
今日も微熱が続き 身体の節々痛い

2002・6・3月
今日はだいぶましだ 最近飲み初めた(乳酸エキス・善玉君)のせいか
体質改善のときにおこる変化 両手・両足・内太もも・左頬上・赤いジンマシンできる

2002・6・6木
抗がん剤(1クール・2)採血 白血球(3500L) 肝臓(GPT・77H)
肝臓 少し悪くなってた 抗がん剤の影響だ それぐらいきつい薬なんだ
自宅へもどっても ほとんど眠るようにする ワールドカップ(フランス戦)

2002・6・7金
今日は久しぶりに電車に乗って大阪梅田へ買い物に出かけた 晴れたいい天気で熱い
歩いては汗かいて大変だった 歩くのが普通の人達にくらべ いかに遅いか思い知った
自分が思っている以上に体力は落ちていた

2002・6・8土
東京から友人がやってきた チャリンコで大阪の町を案内する友人は大喜びだ
色々行ったが だんだん光太郎が弱ってきたので自宅へ戻る
夜少し熱が出る やはりまだまだ 無理は出来ない

2002・6・13木(1クール・3)
採血        6月13   6月6日  5月20日  4月25日
WBC(白血球)  2.7L   3.5L   4.7     6.4
Hgb(血色素量) 10.9L   11.7L   12.16   13.1
GPT(肝臓)    121H   77H    60H     52H 
白血球の数少なく 肝臓悪い

2002・6・20木(1クール・4)
採血・レントゲン
腫瘍マーカー(CEA81.4H)小さくなった やった〜 ばんざ〜い
肝臓GPT・120H(基準値5〜30)肝臓が悪くなってた
白血球(WBC・3、3L)基準値3、8〜8、5
次回の採血GPTの結果見て 抗がん剤続けるか決める ん〜微妙だ

2002・6・27木(抗がん剤中止)
肝臓悪く抗がん剤の日だったが中止になった
肝臓(GPT)が基準値は5〜30なのに150Hだった めちゃへこむ
    6月27日   6月20  6月13日  6月6日  5月20日  4月25日
GPT 150H     120H   121H    77H    60H     52H
肝臓 
抗がん剤がきつく 肝臓に出てきてるが 肝臓に症状が出てくるまで遅い
抗がん剤で2割〜3割の人が肝臓にでるらしい
自己努力は食後1時間は横になって 身体を動かさないでいる事
ここんところ喉が痛かったから訴えたら 転移の疑いはなかった
痛みを訴えるとすぐ 転移の疑いだ

2002・6・28金
肝臓が悪いせいか なんかしんどく何もやる気がしない 風邪っぽい
食後少し しんどいのと熱が下がったので 少し散歩した

2002・6・29土
風邪か?肝臓か?しんどい ずっと横になってる 微熱がずっとある
食事をしてはすぐベッドにもどる

2002・7・3水
肺炎をおこした痛みがある(入院中経験ある)ので痛み止め(ロキソニン)飲む
薬がきれる夜また痛くなる 背中に竹でも入れて寝てる感じで横になれない

2002・7・4木(ガンが少し大きくなった)
胸のCTで見た感じは現状維持だが 腫瘍マーカーでは113.6Hと大きくなってた
肝臓は49H数値的にはよくなってた 肝臓への転移はないが 
腹部エコーの結果・脂肪肝(肝臓がフォアグラ状態)だと言われた 
恐いので気をつけるようドクターに言われた
風邪で炎症を起こしてるので 抗がん剤は打てず 2週休薬 またまたへこむ

2002・7・5金
昨夜は痛み止め(ロキソニン)を飲んで寝た 身体の痛みはうそのように消えてた
漢方&乳酸エキス&痛み止め&抗生物質飲む 
1〜2週間ほど前からマユ毛・体毛・ヒゲ濃くなって人間らしい顔になってきた

2002・7・9火
時々 左鎖骨あたり筋肉痛 左背中 アバラ 左肩甲骨の下痛い
(漢方薬)アガリクス・田七人参・五加参・日田天領水・乳酸エキス

2002・7・10水(台風)
風邪っぽく眠ってる時間長い 右肩引き せつなく痛い 左背中痛む(痛み止め飲む)
ガレージで車にワックスかけた

2002・7・11木(新しい抗がん剤・3週に一度)
3週間に一度だけ打つ抗がん剤を打った ジワジワしんどく 味がない

2002・7・12金
味はまずいが 味はある ジワジワと食後の抗がん剤はくる

2002・7・16火
スタミナをつけようと鰻丼を食べるが味がない 気分転換にヨットハーバーまでドライブする

2002・7・18木(新薬イレッサの説明)
抗がん剤を変えては肝臓が悪くなったりで 悪戦苦闘してる時期に新薬が出た
我々ガン患者にとっては 祈るような気持ちですがりつく感じだ
しかし今の所9月くらいまでは自費だ 毎日1錠飲む抗がん剤で 1錠¥10000
はぁ〜?値段を聞いただけで 病気が治りそうだ 
新潟から帰ったら 飲むことにした

2002・7・19金(新潟の妙高高原出発)
毎年この時期には 静養をかねて新潟の妙高高原 赤倉温泉へ出かけ行く
今年はあきらめていたのだがドクターの許可をもらって 自分で6時間運転して到着した
1日はLIVEをやる予定だ 新潟のミュージシャンの友人達 東京のミュージシャンの友人達
駆けつけてくれた もう野天風呂 料理 友情 おいしい空気 マイナスイオン
すべて満喫した 無理をしないよう 疲れないよう ほどほどに何でもした
入院中ほどほどにせず肺炎にかかった経験が今生きている

2002・7・24水(イレッサ初)
腫瘍マーカー(162.8)大きくなってた 
今日からイレッサの処方が始まる これにかける
イレッサ錠250について
2002年7月5日に厚生労働大臣により日本国の薬事法の基ずく輸入販売が承認された
対象になる患者さん「手術不能または再発非小細胞肺ガン」
手術後の再発予防には使用できません
イレッサの特徴
全く新しい作用機序を有する薬 ガン細胞の表面にはEGFR(上皮成長因子受容体)と
呼ばれるタンパク質があり このタンパク質が働くとガン細胞が増殖します
イレッサはガン細胞を直接攻撃するのではなく EGFRの働きを止めることで
ガン細胞の増殖を抑えます したがって正常な細胞への攻撃は少ないと考えられています
イレッサの副作用
光太郎は今 顔や身体にニキビがたくさんあるが これが代表的な副作用だ
他に下痢・吐き気・嘔吐・口内炎・食欲なくなる・無力症・肝機能障害・結膜炎 他
同意書にサインして 提出して初めて処方してもらえる
2週間分しか処方されない 14錠だから ¥140000+消費税+診察費
そうそう それにまちがって1日2錠飲んだら危険なんで 
そんな時はドクターにすぐ相談する事になってる だから光太郎は毎日飲んでたら
漢方薬でもよくあったんだけど わからなくなるんだ 
だから飲んだ時間必ず薬袋に直接記入することにしてるんだ

2002・8・5月(ニキビが出初める)
検査 腫瘍マーカー193.1Hと少し大きくなってた 
しかし大きくなりかたが ゆるやかになってきているので 様子をみましょうとのこと
顔にニキビがではじめてきた 全身かゆい(副作用)

2002・8・19月
検査 腫瘍マーカー200.2H 前回より少し大きいが ほとんど変わらない
ジワジワ効いてきてるようだ

2002・8・25水(咳がひんぱんに出る)
23日・24日と続けてライブをやってから 咳が出だした(副作用かもしれない)

2002・8・30金
検査・CT他 1週間ほど前から 軽い肺炎(せきの原因) 抗生物質

2002・9・2月(イレッサ保険適用)
今日からイレッサが保険きくようになった 14〜5万円の支払いが3〜4万円になった
腫瘍マーカー172.2Hとようやく 少しちいさくなった 今日は両方とも嬉しい日だった

2002・9・9月(ひどいニキビ)
イレッサの副作用でひどいニキビが身体中に出る 特に顔がひどい
顔を洗うと ニキビがつぶれて血が出た

2002・10・2水
採血・CT・腫瘍マーカー188.9H 少し大きくなってたのでへこむ
気を取り直して 忍耐 忍耐

2002・10・5土(目でみるガン展・公開講座シンポジウム・肺ガン最新治療法)
今日は肺ガンのシンポジュームへ行った じつにたくさんの方が集まってた
現代は本当に深刻なガンの時代だと実感した セミナーでのドクターの話では
今まで10年サイクルの研究のスピードが 1年サイクルで新しい治療法が開発され
2030年頃には ガンも克服できるだろうとの話に希望がいっぱい花咲く
それでは 目で見る「ガン」展より紹介しよう
ガンは怖い しかし本当に怖いのは ガンに対する無知です
現在日本人の3人に1人が ガンで亡くなっています
しかしガンについて正しい知識を持つ事で 死亡率は下げる事はできるのです
「ガン」について
・ガンの特徴・限りなく増えつづける無限の増殖・できた所(原発巣)からよそえ移動(転移)
・「ガン」はどこにでもできる(胃ガン・肺ガン・大腸ガン・乳ガン・等)
                 (白血病・悪性リンパ腫・(造血器腫瘍))
・「ガン」は最初にできたところの名前で呼ぶ
・「ガン」細胞の性格は人によりそれぞれ違う
・同じ人のガンでも細胞により違いがある
 Aさんの肺ガンとBさんの肺ガンは 同じでないため そのガン細胞の性格に応じて
 治療が異なる事が望ましい(テーラメイド治療(個別化治療))
肺ガンの標準的治療法(非小細胞肺ガン)
「早期ガン」
↑ T期 手術 PDT(レーザー治療)など
  U期  手術
  VA期 手術・放射線治療・化学療法
  VB期 放射線治療・科学療法
↓ W期  化学療法(KOUTAROはここ)
「進行ガン」
「分子標的治療」
ガンの研究が進んだ結果 細胞のガン化や ガンの増殖などに関わる異常も
遺伝子レベルでわかるようになってきた この異常にターゲットを絞って攻撃するのが
「分子標的治療薬」という抗がん剤である 正常細胞に与える影響が少なく
副作用が少ない事が特徴である また 最初からガンの特性を調べ
効く可能性の高い人に的を絞って効率的な治療ができる 
遺伝子診断などでガンの個性を調べ それぞれの患者に合った個別の治療
(テーラーメイド治療)が実践されるのも近い将来のこととなってきた
特徴
・ガン細胞を殺すのではなく 増殖したり転移したりすることを防止
・正常細胞に影響が少ないため 副作用が少ない
・標的分子が決まっているので その標的を持ったガン細胞に効率的に投与できる
・テーラーメイド治療
ガンのテーラーメイド治療とは?
・個別化治療 ⇔レディーメイド治療
・患者の体質の違い(薬効・副作用の応答性の違い・副作用の回避・軽減)
・ひとりひとりのガン細胞はそれぞれ違った性格を持っている
 (ガンの詳細な診断と分類・遺伝子の異常・ファーマゲノミクス(ゲノム創薬))
保険診療で使用できる分子標的薬剤
・薬剤名(一般名)  対象疾患     標的分子    投与法    備考
・ハーセプチン     乳がん      Her2・neu   点滴    ハーセプテスト
(トラスツマブ)
・リツキサン     悪性リンパ腫    CD20      点滴    
(リツキシマブ)
・グリベック   慢性骨髄性白血病   Bcr-Ab1    内服         
(イマニチブ)  
・イレッサ      非小細胞肺ガン   EGFR-TK   内服    作用機作は不明
(ゲフィチニブ)   KOUTAROは現在イレッサを毎日飲んでいる 
まとめ
・抗がん剤として4つの分子標的薬剤が開発され 臨床に用いられている
 今後も分子標的薬剤の開発が益々進む
・科学技術の進歩に伴い 患者の体質 病態にあったテーラメイド治療が
 行われる日が近ずいて来ている   
「気管支鏡を用いた治療」
光線力学的治療(PDT)は光に反応しやすく ガン組織に集まりやすい性質をもった物質が
レーザー光線に反応して活性酸素を発生させ この活性酸素がガン細胞を酸化
破壊する治療法である この治療法は周囲の正常組織を傷めずに 
ガン組織のみ選択的に破壊することができる 同治療方法の最大のメリットは
臓器を温存したまま何度でも繰り返し行えることであり 治療中の苦痛はほとんどない
高齢で心肺機能が悪く 体力的に手術に耐えられない場合や 
肺の機能を温存したい患者に適した治療と言える
「気管支鏡を用いた肺ガン治療」
・レーザー治療(光線力学的治療・Photodynamic therapy:PDT・レーザー焼灼)
・気管支腔内照射
・高周波治療(スネア・ナイフなど)
・気道ステント留置
レーザー治療
・腫瘍熱灼治療・レーザー光線の高出力・高エネルギーを利用してガンを灼熱昇華
            おもに進行ガンの症状改善や外科手術に使用される
           「例」Nd-YAGレーザー・炭酸ガスレーザー
・光線力学的治療(PDT)
  レーザー光線の単色性を利用して光化学反応をおこさせる 腫瘍和性光化学物質と
  ペアで治療する・早期ガンを完治させる
 「例」フォトフリン注とエキシマダイレーザー
     (630nmの赤色光線・レーザーメスの100分の1の低出力)
PDTの特徴
1・悲観血的な局所的治療法である
2・機能温存が可能である
3・合併症などによる手術不能の早期ガンに対する治療法の一つとして有用である
PDTの効能・効果
手術等の他の根治的治療が不可能な場合あるいは 肺または子宮頚部の機能温存が
必要な患者に他の治療法が使用できない場合で かつ 内視鏡的に病巣全容が
観察でき レーザー光照射が可能な下記疾患
・早期肺ガン(病期0期又は病期1期肺ガン)
 本療法が適用となるのは 直径1cm以下で内視鏡的に末梢辺縁が確認でき
 生検標本で浸潤が気管支軟骨層までに届まる腫瘍である
 直径が1cmより大きい腫瘍 内視鏡的に末梢辺縁が確認できない腫ガンで
 外科的切除など根治的治療が可能な場合はこれらの治療を優先すること
・表在性食道ガン
・表在性早期胃がん
・子宮頚部初期ガン及び異形成

2002・10・12土
神戸ジャズストリート出演

2002・10・13日
友人のミュージシャンの結婚披露パーティーに参加 もちろん「寿」を歌う

2002・10・15火(イレッサで死者ニュースで話題)
友人から光太郎が飲んでるイレッサで死者がでたってニュースで聞いたとの知らせ
しばらく新聞などで話題になる

2002・10・16水
病院の日 ドクターにイレッサのニュースのことを聞く 話では亡くなった人は飲み始めて
1週間から2週間で症状がでる あなたの場合は大丈夫ですこのまま続けましょとのこと
もちろん病院にも注意書きが回ってきており 何人かの患者さんは実際にイレッサ中止
になったらしい

2002・10・26土
神戸・三ノ宮のT2楽屋のマスターがハーバーランドに上屋劇場をオープン 
たくさんのミュージシャンを連れてお祝いに 光太郎もいっぱい歌っておおはしゃぎ

2002・10・30水
検査 腫瘍マーカー181.9H ほとんど現状維持 
でも元気で日常生活が送れていることに感謝

2002・11・11月
イレッサ処方 闘病生活は続く

2002・12・19木
腫瘍マーカーでガンが一番小さくなった時が73、2だった数値が310まで大きくなる
めちゃへこむ
肝臓も悪くなってきている 
MRIの検査結果 脳腫瘍はほとんどなくなっている
来年早々 点滴の抗がん剤を投与することになる

2002・12・20金(風邪)
昨夜はノド&鼻が痛かった
加湿器をたいて休んだので 朝は少しましだったが風邪をひいたみたいだ
ボイストレーニングや家族との食事会の約束 すべてキャンセル
フェロモックス(抗生物質)咳止め服用

2002・12・21土
今日も本格的な風邪だが昨日よりはましだ
フェロモックス(抗生物質)咳止め服用

2003・1・1水(謹賀新年)
初めに書いたように 1年生存率30%はクリアーし新年を迎えることができた
たくさんの友人達が挨拶と激励に来てくれ 大感激する

2003・1・7火(イレッサ最後)
今日でイレッサ最後の日
結局イレッサを2002年7月24日〜2003年1月7日まで
12袋(1袋・2週間分・14錠)14錠×12袋=168錠 服用した
NO1・2002・7月24〜8月6日
NO2・2002・8月7日〜8月20日
NO3・2002・8月21日〜9月3日
NO4・2002・9月4日〜9月17日
NO5・2002・9月18日〜10月1日
NO6・2002・10月2〜10月15日
NO7・2002・10月16日〜10月29日
NO8・2002・10月30日〜11月12日
NO9・2002・11月13日〜1月26日
NO10・2002・11月27日〜12月10日
NO11・2002・12月11日〜12月24日
NO12・2002・12月25日〜2003・1月7日
合計 168錠(168日)服用した

2003・1・8水
イレッサなしで過ごす
ガンが大きくならないか不安だ

2003・1・9木(新年初通院・抗がん剤1日目)
今年そして今日から 点滴の抗がん剤だ
この抗がん剤で以前は半分まで小さくなったんだ
前は最後のほうは薬剤耐性と言ってガンがクスリに慣れてしまい効かなくなった
イレッサを飲んでる間 身体的にも 副作用も軽く
充分休んだので期待して 投与する
抗がん剤を打つ日 朝 副作用&炎症抑える飲み薬(レスタミン錠5錠)
1本目
ソリタT3・200ml テカドロン・20ml サンタック・1A カイトリル・1A
2本目
5%ブドウ糖液・250ml タキソール105g
腫瘍マーカー(351)大きくなってた めちゃへこむ
昨年の1月400に近ずいている 怖い

2003・1・10金(抗がん剤2日目)
副作用まだ そんなにないが久しぶりなので怖い
シャックリが止まらない
ガンマーナイフ前日もシャックリが止まらなかった事想い出す

2003・1・11土(抗がん剤3日目)
食欲も味もある 元気だ

2003・1・12日(抗がん剤4日目)
ちょっと風邪気味

2003・1・13月(抗がん剤5日目・祝成人の日)
世間では祝成人式 成人のマナーが問われる中
ちょっと風邪気味 抗がん剤の副作用そんなにない

2003・1・14火(抗がん剤6日目)
唇の左端切れてた イレッサ飲んでる時から時々切れた
肌はイレッサ飲んでないので戻ってきてる

2003・1・16木(抗がん剤2回目)
抗がん剤を打つ日 朝 副作用&炎症抑える飲み薬(レスタミン錠5錠)
朝食後 飲む薬 飲み忘れる ちょっとふらつく しんどい
今回は腫瘍マーカーはなしだ 
肝臓は良くなってた(先週GPT・77Hが43Hに下がってた)
抗がん剤 先週と同じ薬
1本目
ソリタT3・200ml テカドロン・20ml サンタック・1A カイトリル・1A
2本目
5%ブドウ糖液・250ml タキソール105g
ドクターに飲み忘れ相談 もう飲まないでいい 次回忘れずにとの事
抗がん剤点滴の日の前日は 寝不足にすると 点滴の間良く眠れて辛くない
病人のひそかな知恵だ おかげでグッスリ眠ってる間に点滴終る
夕食旺盛 モリモリ ご飯3杯食べる 負けないぞ

2003・1・21火
食欲旺盛 最近は肉&油分は控えて野菜中心だ
肩こりの薬よく効いている(ミオナール)

2003・1・22水
寒い日 世間ではインフルエンザが大流行 

2003・1・23木(抗がん剤3回目)
朝食後飲むクスリ(レスタミン錠)飲み忘れた 病院から帰って飲んだ
白血球・6・1(1月23日)  6、6(1月16日)  7、1(1月9日)  
GPT肝臓・39H(1月23日)  4、3H(1月16日)  77H(1月9日) 
抗がん剤 
1本目
ソリタT3・200ml テカドロン・20ml サンタック・1A カイトリル・1A
2本目
5%ブドウ糖液・250ml タキソール105g
薬・ビタミン(ビタノイサン50) ミオナール(肩こり)
VTRで観た 「NHKためしてガッテンより」
肝臓ガンは 肝硬変になった人から発生する(お酒飲みすぎ控える)
肝硬変〜肝臓ガン 発生率5年間 30%
肝硬変の原因の大半はウィルス
「B型肝炎ウィルス」「C型肝炎ウィルス」肝臓ガン発生率90%
昨年秋 ガン学会で驚くべき研究が発表された
研究に使われた栄養剤(名前なし)
肝硬変50人・4年間・1日2回・毎日飲みつづけた結果
ガン発生率 半分に下がった
栄養剤の成分
トマト1個(リコピン)   ニンジン1個(Bカロテン・@カロテン)
ない場合は
柿・すいか         カボチャ・ほうれん草
注意: ニンジンの@カロテンだけでは 逆に発生率があがった
     複合する事が大事

2003・1・24日(ヒポポタマスLIVEキャンセル)
大阪福島のライブハウス・ヒポポタマスでライブする予定だったが
点滴の副作用のきつい 抗がん剤が今年になって決まったので 
泣く泣くキャンセルしてもらう事になった
今の状況で2ステージLIVEはまだ無理だ

2003・1・27月(FMココロ出演)
へこんでる時に出演依頼 ラジオ出演なら無理なく出れそうだ
FMココロ・プレミアムミッドナイト・ゲスト出演
特集コーナーで病気について 人生について
人の生き方 生死について 熱く語り 2曲生で新曲を演奏する

2003・1・29水(検査)
採血&胸部CT

2003・1・30木(検査結果・再入院薦められる)
腫瘍マーカー・401、3(1月30日) 351、9(1月9日) 310、5(12月19日)
肝臓GPT・33H(1月30日)  39H(1月23日) 43H(1月16日) 77H(1月9日)
またガンが大きくなってた 3週抗がん剤投与したけど 薬剤耐性で効かなくなってた
だんだん追い込まれる気分 効くクスリがなくなると 大きくなり続ける
全く新しい抗がん剤を使うから 副作用が分からないので 入院を勧められる
カルセドって言うクスリらしい 3日間毎日投与 3〜4週間ごとに繰り返す
初回は副作用が心配 今夜 家族と相談して 入院を考え 明日病院に伝える
 
状況は最悪でへこむ要因ばかりだが 今年はガンの克服を誓っているので
まだ奇跡を信じ 心で強く祈る 身体からガン 消えてなくなれ
今までの戦いは 本気のつもりでも 竹刀の戦いだった
だから 光太郎の都合優先型の戦い
でも これからは 真剣刀の戦い 負けは死だ
病気に打ち勝つ 戦いが要求される ここからがいよいよ本番だ
人生をかけた 生への戦いが初まる 助かる道は希望と奇跡
国立ガンセンターのデーターでは5年の生存率 10%未満が現実なんだから
でも完全に今は不利だと思えても 必ず克服する決意だ
だって今この瞬間現在も人生なんだから 
反対に優々味わいながら行く決意だ 絶対に負けないぞ
けど〜 不安〜どうなるんでげしょ〜

2003・1・31金(再入院決意)
今日の診察で 再入院する事を伝える
火曜日に 部屋が空きしだい入院決まる。
カルセド(全く新しい抗がん剤)
3日間 毎日投与 3〜4週間ごとに繰り返す
初回 副作用が心配なので 入院

2003・2・1土(LIVEにゲスト出演)
東京の友人が 関西でLIVEをやるので ゲスト出演することになった
久しぶりに 心が震える思いで歌った
ミュージシャンの友人全員 支えるように 保護するように 見守るように 
愛情いっぱいで 味わうように 演奏してくれた
LIVE終了後 友人達と食事をしながら いつまでもいつまでも語り合った

2003・2・3月
明日から入院だ 自宅で過ごす最後の日
てっちり鍋をしてくれた

2003・2・4火(再入院・抗がん剤1日目)
3週間の予定で入院する
朝9:30分 入院手続きする
3:00から抗がん剤の予定だ
全く新しい抗がん剤なので 副作用も未経験なので不安だ
1日目    2日目     3日目
 点滴    点滴      点滴
採血 2月10日 13日 18日 21日 25日 28日 3月4日
CEA・腫瘍マーカー(血液検査で体内の腫瘍の面積がわかる)は2月18日だ
心電図 夜早くに休む 入院生活も慣れたもんだ
今度の抗がん剤は4週間で1クールだ効き目がなくなるまで続ける

2003・2・5水(入院2日目・抗がん剤2日目)
同室の患者さん達と 親しくなると 後がつらいので 顔を合わさないよう
一日カーテンを閉めて 誰とも話さないよう心がける 3週間の辛抱だ
今日から新しい漢方薬 AHCCを服用する
朝4:00頃から 目がさめる
朝食 一口もつけず 食欲もない
点滴 朝8:00頃から(カルセド)オレンジジュースのような色だ
昼 友人がお見舞いに来てくれたので 病院のレストランで食事
少しだるく 眠く ムカムカ気持ち悪い 夜9:00頃休む

2003・2・6木(入院3日目・抗がん剤3日目)

AHCC服用 朝8:00頃 点滴 朝10:00頃終る
朝食 ミルクを飲んだ 食欲ない
友人がまたお見舞いに来てくれたので ラーメンを食べに行った

2003・2・7金(入院4)

今日から点滴もなくなり 外出許可書もでる(フリー)だ
またまた友人がお見舞いに来てくれたので お茶を飲みに行った
夜 熱っぽくしんどい AHCC服用

2003・2・8土(入院5)
散歩したり ゆっくり過ごす 近くのCafeでパソコンを見つけ
インターネットが自由に見れたので 久しぶりに
自分のホームページに今の状況 心境 近況報告を書いた
昼 ラーメン食べた なぜかラーメンなら食べれるのだ
夜 ハンバーガー&コーラ
少し熱っぽく やはりだるい
夜中遅くまで TVをぼんやり見て過ごす 

2003・2・9日(入院6)
今日は調子がいい感じだ 
朝から友人が来る事になってるので首を長くして待ってる
3人で そばを食べに行った そのあとCafeでホームページ書いた
夕食は自宅で取り 結構自由にしている
消灯前に病院へ戻る 寝る前 顔を洗たっら 髪の毛が多く抜ける
お腹周りも ブツブツが(色は別にないが)触った感じあった

2003・2・10月(入院7・神戸新聞の取材受ける)

朝 採血 今日はもう 病院での予定はない 36.6℃
抜け毛がひどくなってきている
2:40頃 ドクターと話す 2週間後ぐらいに ドッと副作用が来るらしい
ちょうど2月15日16日あたりが 抵抗力もなくなり しんどくなるらしい
午後 神戸新聞の取材を受け 音楽を初めたきっかけから
闘病生活にいたるまで話した 辛かった事 怖かった事 想い出し 長時間話した 
取材をされてた方も 涙ながらに記事を書いてた

2003・2・11火(祝日・建国記念日)

今日は結婚記念日だが 病院で迎える
祝日ということもあって たくさんの友人がお見舞いに来てくれた
夜 またまたみんなで 九州ラーメンを食べにいった

2003・2・12水(入院9)

朝 うどんを食べに行くが 匂い&味が ウッとなってきて気持ち悪かった
病院食はまったく食べれないが 外食は食べれたのに 少し不安だ
特に 匂いには ムカムカするので あまり意識しないよう 他の事を考える
夜 友人とまたまた ラーメンを食べにいった

2003・2・13木(入院10)

友人と トマトラーメンを食べに行く
採血の結果 異常なしだ よかった 18日が多分 最低値が予想される
許容限度内なら 早めに退院可能だ
夜 ハンバーガー&イチゴ

2003・14金(入院11)
朝 ミルク&みかん食べる 

2003・2・15土(入院12)

病室に一人だ ほとんどの方が退院したからだ
おかげで のんびり過ごす 窓から見える川を見ながら詩を書く
朝 パン&コーヒ
夕方 お見舞にきてくれた友人が お寿司を差し入れてくれた

2003・2・16日(入院13)
昨夜から降り続いてる雨が今も降っている
朝 パン&チーズ&ミルク&オレンジジュース
バリカンで頭を剃ってスッキリする
たくさんの友人が お見舞いに来てくれる 夜 疲れて11:00過ぎ休む

2003・2・17(入院14)
病室が空いたので 窓側のベットに変えてもらった
今日は検査もなく 一日予定もない
陽射しを一杯浴びながら過ごしている
3週間で退院予定なので 病室の人と知り合いになると
後が辛いので 心を閉ざし なるべく 話もしないよう心がけてきたが
窓側のベッドに移る時 二人だけになった病室で
隣の75歳のお爺さんに 話しかけこられたので 話し込んでしまった
僕と同じ 肺ガンだ 治療内容を聞いただけで 
進行具合までわかってしまうくらい 詳しくなっている自分を恨んだ
1年半もガン患者をやってると 経験も知識も豊富だ 
その日から急激にお爺さんと 親しくなり 励ましあい 身の上話までする
朝 パン AHCC
友人から電話でパスタを食べに行く なんと2人前たいらげたら 友人もビックリだ
また違う友人から電話が入り 合流しネットCafeでホームページを見ながらお茶した
夜 ギョーザ&レバー
いよいよ明日 採血で CEA(腫瘍マーカー)でガンの大きさがわかる日だ

2003・2・18火(入院15・ガンが小さくなった)

採血 朝食 パン2ケ 
11:00過ぎ ドクターより結果報告 ガンが小さくなった飛びあがって喜ぶ
1月29日 が  2月18日
401、3      381、1   とCEA(腫瘍マーカー)小さくなったんだ 
数値が小さいほど 体内のガンの面積も小さいんだ
普通の人は 0〜5ぐらいなんだ
昼 お見舞い客と一緒に中華料理を 祝いながら食べた 
同部屋のお爺さんも 一緒に歓んでくれた

2003・2・19水(入院16)

朝 トースト2枚     昼 トマトラーメン   夜 カレーライス
横浜のピアニストに光太郎が入院中に聴く
専用の曲を作ってと わがまま言ってたCDが届く
素晴らしい作品に感動し 歓喜し ひとり涙ぐむ なんと贅沢な日だろう
同室のお爺さんも 今日は外泊なので 広い病室で一人
何度も 何度も繰り返し 素晴らしい作品を聴いて過ごす
以後 友人にも 看護婦さんにも 光太郎の自慢のCDになる

2003・2・20木(入院17)

朝 パン2ケ チーズ 
くもり空の中 時々射す陽射しが気持ちいい
昼 友人のランチの差し入れ食べる
22日退院予定 明日の採血の結果で決まる

2003・2・21金(入院18)

朝 パン 1,5ケ   昼 トマトラーメン 明日 退院決定だやった〜
次回 2月28日 CT予定だ 

2003・2・22土(退院)

退院の朝 ウキウキだ ちょうど東京の名ドラムの友人がお見舞いに来てくれる
お見舞いが 退院の荷物運びを手伝ってくれた
何度も何度も よかった よかったと歓んでくれた

2003・2・28土(通院)

2〜3日前から やたら眠い 1日中眠ってる感じがする
今日は胸のCTを撮る  
診察終えて 同部屋だった75歳のお爺さんを見舞うが 熱を出して眠ってた心配だ
もうすでに 病室は患者さんで満杯になってた お爺さんお願いがんばれ〜

2003・3・3月(抗がん剤・2クール・ガンが入院前より大きくなる)
今日から 通院で3日4日5日と3日間 抗がん剤が続く
1週間ほど前から 髪の毛が抜け初め 昨日カガミを見たら 被爆してるみたいだった
朝9:00頃 採血  10:30〜11:00診察&抗がん剤
CEA(腫瘍マーカー・体内の腫瘍の面積)429 と大きくなってた
これは めちゃくちゃへこんだ あの入院はなんだったんだ
今まで辛い事はたくさんあったが 今回は精神的にきつかった
しばらく動けないくらい へこんだ 絶望感に襲われた
ドクターと相談し 4週間で一回(3日)の抗がん剤を 3週間で一回(3日)に変える
ひと月に2回 抗がん剤をするので 体力的にも 経済的にも 負担が大きくなる
できる事なら 病人のぬいぐるみを脱いで 何もかも忘れて健康体になって
ハワイで ひと月ぐらい 休日がほしいよ ふ〜もういや 泣いてもいい?

2003・3・7金

今回の抗がん剤はつらい ムカムカ気分が悪い 食欲もないがなんとか食べる
1日中 眠ってる

2003・3・11火

ここんとこ食欲がない 時々ムカムカする

2003・3・17月

採血 異常なし CEA検査は今回なし

2003・3・24(抗がん剤3・ガン小さくなった)

CEA(腫瘍マーカー)407 と前回よりちいさくなった
前回・CEA(腫瘍マーカー)429   今回・CEA(腫瘍マーカー)407
吐き気止め プリンペラン プレドニン5mg 各1錠
今回のむかつきは 今まで経験した抗がん剤の中で1番辛かったが
クスリを飲んだら むかつきもおさまった 特にお腹がすくと胃がムカムカする

2003・3・27木

やる気がしない 無気力感 ムカムカする 匂いに敏感だ 1日中眠ってる

2003・4・3木(神戸新聞に紹介される)

神戸新聞に「肺ガンと闘うミュージシャン」として紹介される
新聞記事を見た友人達から 新聞見たよって電話が入り 大激励をうける
この日から新聞記事で KOUTAROホームページの闘病日記を知り
病気と闘う姿や メッセージに 勇気づけられたと 同じ病気と闘う人や 
ご家族の方達から お便りをいたただくようになる 新聞の影響はすごい
あまりにも壮絶な内容な為 涙で顔をグシャグシャにしながら返事を書く
闘病日記がお役にたてて 本当によかった ホームページで発表した事
悩んだけど 本当によかったと思えるよ そして明日からまたがんばれるよ
絶対 絶対 絶対 希望を持ってがんばってください!

2003・4・5土(友人のLIVE)

今日は友人のLIVEへ出かけて行った 音楽にひたる1日だった
早く元気になって 思いっきり歌いたいよ 心が熱くなった日

2003・4・6日(春爛漫・桜・大花見大会)

今年で5回目・神戸・須磨浦公園で行われる 大花見大会に出かけて行った 
KOUTAROホームページの管理人さんの誘いだ
体調もよく 4〜5曲 歌った 久しぶりのバンドのメンバーも 友人達もやさしく
歌い終わって 何度も何度も握手をしながら 元気でよかったな よかったなと
涙ぐみながら 無事を歓んでくれた 愛情溢れる1日だった
春爛漫 桜の木の下 生きてる歓びを改めて実感した 春だ〜
たとえ今は どんなに辛くても 春は必ず来るんだ ネバーギブアップだ!

2003・4・7月(ガンが小さくなった日)

朝 採血9:00  ちょうど東京からツアーで来てた友人を たたき起こし お茶する
楽しくお腹を抱えて 笑いながら朝食をとって 診察へ 採血の結果
CEA(腫瘍マーカー)333 以前より だいぶ小さくなった
     前回CEA・407  今回CEA・333
もう天にも昇る気持ちで 大歓びした 
一日中 インディアンスタイルで 歓びを表現する感謝 感激な日だ
(KOUTARO談)
このように大きくなったり 小さくなったりしながら 今日もガンと闘っています
ガンも1年半に及ぶ闘病生活になると 日常になってきます
今度は逆に 緊張感が無くなりダラダラします そんな時 時々へこむ事があったり
改めて 自分の病気の深刻さを 思い知らされます
要はなくなるまで がんばらないとダメです 
現に奇跡的に ガンが消えた方も実際いるのですから
闘病生活のこの瞬間の今も 人生です たとえどんなに辛くても
生きてる間は 負けないで戦いましょう 結局それが一番元気になります
涙が枯れて また泣いて 枯れて 泣き疲れて 泣き飽きたら
覚悟を決め 腹を据え ネバーギブアップです 
たとえ今は凍りつく冬でも どんなに嵐が吹き荒れていても 春は必ず来る
最終的には 運命や寿命です 行く末は誰にも分かりませんが
生きてる間は 自分の意思は病気なんかに負けないでください
体が動くかぎり 呼吸ができるかぎり 心臓が動くかぎり 頑張りましょう
そうすればご家族の方達も元気になります もともと病人ではないんですから
みんな応援してくれています さあ立ち上がって ガッツを見せましょう
KOUTAROも頑張りますから 同士諸君 共にがんばりましょう
どうしても 不安と恐怖に心を覆われたら この言葉を想い出してください
我々に一番 必要な言葉です KOUTAROも何度も救われました
勇気・希望・忍耐!  勇気・希望・忍耐! 勇気・希望・忍耐!

 

「勝利の決意」

今日


勝とう

そして

明日

なったなら
 
また
勝とう

毎日

ひとつ
ひとつ

乗り越えて
行こう

ひとつ
づつ

勝利

つなぎ
合わせて

生き方

できあがる


最悪に見えても
惑わされるな

もう
ダメに思えても
惑わされるな

必ず
困難は
乗り越えられる
のだから

主人公

決意

定まって
ないから

不安

恐怖


怯え
おののき

ぶざま

醜態
さらけだす

心を定め

勝つ

決意しよう

勝つ

決意した時から

本当


もう
勝って
いるんだ

その日

来るまで

勝ち
続けよう

ぐらついたなら

また
決意しよう

毎日
毎日

決意
しよう

不可能

可能

なるのだから

初まり

心から

たとえ


どんな
状況でも

澄み切った
雲ひとつない

青空のような
心でありたい

今の状況

逃げないで

今の状況

中で

勝利
しよう

そう

真正面
から
闘おう

困難
なんかに
負けて
なるものか

恐くても
弱くても

足がブルブル
震えながらでも



進もう

今日
勝とう

勇気

かかげ

       勇戦士koutaro